東上田村(読み)ひがしうえだむら

日本歴史地名大系 「東上田村」の解説

東上田村
ひがしうえだむら

[現在地名]東部町大字かのう

小県郡の東部、上田城下より林之はやしの(現上田市)を経て禰津ねつに通ずる古道沿いにある。東は禰津領東上田村、西は大川おおかわ村、南は海善寺かいぜんじ村、北は東田沢ひがしたざわ村と境をなす。往古より禰津氏が領有し、天文年間(一五三二―五五)武田氏の領有となり、天正一〇年(一五八二)真田領となった(長野県町村誌)。永禄八年(一五六五)一一月諏訪大社上社の武田信玄による造営再興次第(諏訪大社上社蔵)に海野之分として「正物合三俵七升六合田数仁町六段半東上田之分」として東上田がみえている。

東上田村
ひがしうえだむら

[現在地名]下呂町東上田

湯之島ゆのしま村の北、飛騨川東岸、飛騨街道沿いの段丘上にある。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳および同一八年の郷帳では上田村として記載され、飛騨川対岸西上田村(現萩原町)と分村していない。元禄検地反歩帳では萩原はぎわら郷の東上田村とあり、高一三六石余、田八町余・畑八町六反余・桑畑三畝余。「飛騨国中案内」によれば免四割三分七厘、家数四七、うち寺一・百姓三三・地借り二・門屋一一。天明八年(一七八八)の村明細帳(徳川林政史研究所蔵)によれば高一七〇石余、家数四九・人数二五一、馬二七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報