李准(読み)りじゅん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李准」の意味・わかりやすい解説

李准
りじゅん / リーチュン
(1928―2000)

中国小説家、映画シナリオ作家。河南(かなん/ホーナン)省洛陽(らくよう/ルオヤン)県(現在の孟津(もうしん/モンチン)県)下屯(かとん/シァトン)村の人。祖父は村の私塾の教師をする没落小地主、父は隣町麻屯鎮(まとんちん/マートンチェン)で雑貨商を営む。母は貧農出身で農民のことばが達者、これがのちに農民を描くうえで役だったという。河南大旱魃(かんばつ)(1942)で中学を中退、洛陽で働きながら独学。抗日戦で洛陽陥落後は実家に帰り、祖父から古典を学ぶ。抗日戦後は父の店で働きながら業余劇団(アマチュア劇団)に参加、老芸人たちと知り合い伝統演劇を学び、旧劇の脚色を試みる。また手紙の代筆をして多くの農民と親しくなり、のちの創作の貴重な糧(かて)となった。解放後、洛陽市幹部文化学校の国語教師をしながら創作を始める。短編代表作『不能走那条路(その道は行けない)』(1953、出版は1955年)で一躍有名になる。1954年河南文連(文学芸術界連合会)に所属、短編集『売馬(馬を売る)』(1954)、『野姑娘(野生の娘)』(1956)、『蘆花(ろか)放白的時候(葦(あし)の花が白く咲く頃)』(1957)、『車輪的轍印(車のわだち)』(1959)、『夜走駱駝嶺(夜らくだ嶺(れい)を行く)』(1959)、代表作『李双双(りそうそう/リーショワンショワン)小伝』(1961)等を出版。新中国の農村集団化、女性解放問題等を新鮮かつユーモラスに描き、高く評価された。1958年ごろから映画シナリオの創作を始め、『老兵新伝』(1958)、『小康人家(少しゆとりのある暮らし)』(1958)、『耕雲播雨(はう)(天気予報名人)』(1960)、『李双双』(1961)等で好評を博し、さらに映画脚本集『春筍(しゅんじゅん)集』(1962)、『走郷集(農村行)』(1963)、『龍馬精神』(1965)等を刊行。文化大革命では迫害され、10年間創作の自由を奪われた。「文革」後、映画シナリオ『牧馬人』(1977)、『高山下的花輪』(1977)等の名作を刊行、『李准電影劇本新作選』(1984)も出版。また長編小説黄河東流去(黄河、東に流る)』上下2巻(1979~85)、中編小説『瓜棚風月(かほうふうげつ)』(1984)、『飛来的生命』(1984)、『王結実』(1984)等を発表、健在ぶりを示した。作家協会主席団委員、現代文学館館長をつとめた。

[伊藤敬一]

『外文出版社訳・刊『耕雲記』(『李双双小伝』中の一編。『中国短編小説――たたかいの行程』所収・1965)』『倉石武四郎他訳『現代中国文学第11 短篇集』(1971・河出書房新社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李准」の意味・わかりやすい解説

李准
りじゅん
Li Zhun

[生]1928.5.17.
中国の小説家。土地改革のなかの篤農を描いた『その道を歩んではならない』 (1953) で出発,『母娘二代』 (59) ,『李双双小伝』 (60) で若い女性を描いて好評を得,その後も一貫して文学工作に従事している。

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