本院侍従(読み)ほんいんのじじゅう

朝日日本歴史人物事典 「本院侍従」の解説

本院侍従

生年生没年不詳
平安時代の歌人家系不詳。名は,最初に出仕した本院の女御に由来するが,その女御は本院左大臣藤原時平の娘仁善子であろうか。村上天皇中宮安子,斎宮女御徽子に仕え,天徳4(960)年の内裏歌合に出詠するほどの歌人であった。そのころ,藤原伊尹・兼通の兄弟(ともに中宮安子の兄)や藤原朝忠らに熱心に求愛されたらしい。また藤原為昭との間に一子則友をもうけたともいう。家集『本院侍従集』には兼通との恋愛が物語的に描かれ,才女として貴公子にもてはやされていた若き日の彼女の華やかさを彷彿させる。なお,平中説話に登場する本院侍従とは別人。<参考文献>目加田さくを・中嶋真理子『本院侍従集全釈』

(青木賜鶴子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本院侍従」の解説

本院侍従 ほんいんのじじゅう

?-? 平安時代中期の歌人。
村上天皇の中宮(ちゅうぐう)安子や女御(にょうご)徽子(きし)(斎宮女御)らにつかえた。摂政藤原伊尹(これただ)と太政大臣藤原兼通の兄弟,歌人の藤原朝忠らと恋愛関係にあったといわれ,恋の贈答歌がおおい。「後撰(ごせん)和歌集」などの勅撰集に16首はいる。天徳4年(960)の内裏歌合わせで1首つくる。家集に「本院侍従集」。
格言など】我宿はそこともなにかをしふべきいはでこそみめ尋ねけりやと(「新古今和歌集」)

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