本郷本富士町(読み)ほんごうもとふじちよう

日本歴史地名大系 「本郷本富士町」の解説

本郷本富士町
ほんごうもとふじちよう

[現在地名]文京区本郷七丁目

明治五年(一八七二)に旧加賀金沢藩前田家上屋敷と、支藩の旧越中富山藩前田家上屋敷、同じく加賀大聖寺藩前田家上屋敷を合せて成立。本富士は元富士とも書き、駒込富士こまごめふじともよばれた富士浅間社(現駒込五丁目富士神社)の旧地であったことに由来。当地が加賀前田家に与えられたのは元和年中(一六一五―二四)のことと思われ(「東邸沿革図譜」など)、それ以前は大久保忠隣の屋敷であったと伝える。前田家はこの時すでに辰ノ口たつのくちに屋敷を構えており、当地はしばらく放置された。寛永三年(一六二六)四囲に板塀をめぐらせ、順次普請も行われ、同六年四月には将軍徳川家光・大御所徳川秀忠が相次いで前田利常の「上野別墅」を訪れており(徳川実紀)、この頃には別邸としての体裁も整っていた。天和年間(一六八一―八四)東部を富山藩・大聖寺藩の各上屋敷に分け、その後は幕末まで変化がない。敷地面積は金沢藩邸約一〇万三千八〇〇坪、富山藩邸約一万坪、大聖寺藩邸約四千六〇〇坪である。明治四年に政府に接収され文部省用地となった。当町の大部分は、明治前期から東京大学の敷地になっているが、金沢藩邸時代の遺構として、御守殿門(通称赤門、国指定重要文化財)育徳いくとく園の心字池(三四郎池)などが残っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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