望月村(読み)もちづきむら

日本歴史地名大系 「望月村」の解説

望月村
もちづきむら

[現在地名]望月町望月

蓼科たてしな山の北麓、鹿曲かくま川の段丘上に位置する。東は鹿曲川畔から直接急峻となる瓜生うりう坂を越えて牧布施まきぶせ村に接し、東北の御牧原みまきがはらは古代の望月牧の放牧地。鹿曲川の下流では印内いんない村、上流では天神林てんじんばやし村と接し、西は高呂こうろ村・三井みつい村・茂田井もたい(現望月町茂田井・立科町茂田井)に境する。

中世までは現在地の北方古宮こみや地籍にあったと伝え、村名は望月牧に由来する(長野県町村誌)。「延喜式」神名帳記載の大伴おおとも神社もあることから、古代は牧関係の大伴氏に出た望月氏を中心とする集落があったと考えられる。

望月の名が、郷名として記録に残るのは大宮御造栄之目録(諏訪大社上社文書)に元徳元年(一三二九)「外垣一間 望月」とあるのが初出であろう。

望月村
もちづきむら

[現在地名]臼杵市望月

田井たいさこ村の西、臼杵川の下流域右岸に位置する。慶長二年(一五九七)臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ高四一三石余、うち田方二〇九石余・畑方二〇四石余、村位は上。同一一年の惣御高頭御帳では望月村組に属し同高、村役人に新介・善兵衛・太郎左衛門を記し、同組惣庄屋は五郎右衛門であった。寛永一一年(一六三四)の郷村高付帳(臼杵藩政史料)では左津留村組に所属、のち野村組に属した(万用集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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