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曾我二直庵(読み)そが にちょくあん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曾我二直庵」の解説

曾我二直庵 そが-にちょくあん

?-? 江戸時代前期の画家
曾我直庵の子。寛永-明暦(1624-58)のころ活躍。署名に「直庵二」,印に「二直庵」をつかい2代目をあらわした。繊細な画風なかにも父の剛健筆致をうけつぎ,とくに鷹(たか)の画をよくした。和泉(いずみ)(大阪府)出身通称左兵衛。作品に「柏鷹蘆鷺(はくようろろ)図」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の曾我二直庵の言及

【曾我直庵】より

…桃山時代の画家。生没年不詳。堺に住したと伝えられる。高野山の遍照光院と宝亀院に直庵筆の屛風が伝わり,その子二直庵(にちよくあん)の襖絵が宝亀院,普門院などに残ること,また興福寺の子院に直庵の襖絵があったという記録,当麻寺中之院に二直庵筆の障壁画が伝存していることから,直庵父子は堺を中心に高野山,南都にかけて活躍したことが推測される。法隆寺に伝来する二直庵筆《松竹梅鷹図》に付属する二直庵自筆の系図は,室町時代の漢画派曾我派の末裔であることを主張している。…

【曾我派】より

…中世から近世の漢画派。室町時代,桃山~江戸初期,および江戸中期の三つの画派もしくは画人があり,その間の系図上のつながりは不明である。(1)室町時代の曾我派 伝承では来日李朝画家の李秀文を祖とし,兵部墨渓(ひようぶぼつけい)をその子として画系の初めとする。以後,代々曾我姓を称する越前朝倉氏の家臣。墨渓以降,代々参禅して法名を持ち,特に一休禅師の禅風を受け,その肖像や関係寺院の画作に腕をふるった。墨渓の画技の師は周文で,子の夫泉宗丈(曾我蛇足(じやそく))とともに,周文流の山水画の世界をより簡素・枯淡化し,余白の多い蕭条とした水墨山水画を形成した。…

※「曾我二直庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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