曲金村(読み)まがりがねむら

日本歴史地名大系 「曲金村」の解説

曲金村
まがりがねむら

[現在地名]葛飾区高砂町たかさごちよう一―七丁目・細田ほそだ四丁目・鎌倉かまくら三丁目

新宿にいじゆく町の南に位置し、西は中川を隔て青戸あおと村、南は細田村。応永五年(一三九八)八月日の葛西御厨田数注文写(鏑矢記)に「曲金 十八丁五段小 荒張 二丁七反三百(歩) 公田二丁九反半」とみえ、葛西かさい御厨の内であった。また年月日未詳の葛西御厨入部注文写および葛西御厨田数注文写(ともに鏑矢記)には「曲金 廿一町四段半」と記される。

曲金村
まがりかねむら

[現在地名]静岡市曲金一―七丁目・曲金・春日かすが二丁目・小鹿おしか一―三丁目・豊田とよだ一―二丁目

小黒おぐろ村の東に位置し、北西部を東海道が通る。地名は「和名抄」にみえる有度うど真壁まかべ郷がマカネと転訛し、マガリカネとなったとする説がある(修訂駿河国新風土記)中世は曲金郷と称された。領主手越てごし村と同じ。元禄郷帳では高一千三九一石余。旧高旧領取調帳では曲金村は幕府領一千二六石余・久能山総御門番旗本榊原領一石余、龍泉りゆうせん寺除地二石余・法蔵ほうぞう寺除地三石余、曲金新田は幕府領三六四石余。享保一六年(一七三一)の駿府代官所村高帳に府中宿助郷とある。天保一二年(一八四一)花野井有年は「辛丑雑記」に「横田をはずれて松原の右手に平沢道てふ立石あり、その所をたどりつつ軍(神)坊の森の前をうちすぎける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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