暮田村(読み)くれだむら

日本歴史地名大系 「暮田村」の解説

暮田村
くれだむら

[現在地名]吉井町暮田

八島田やしまだ村の東にある。北東高星たかぼし山から山々が連なり、緩斜面上に集落が点在する。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)佐井木さいき庄に村名がみえ、寛永備前国絵図では高一四七石余。貞享元年(一六八四)の磐梨郡高目録(池田家文庫)には枝村余田よでん(勘定場帳になし)の貼紙がある。「備陽記」によれば田畠一六町四反余、家数二七・人数一六四、池三、天神宮がある。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高二一一石余、家老土倉四郎兵衛給地。田方一二町五反余・一三五石、畑方三町八反余・二八石余、開田畑三町一反余(うち田二町五反余・畑六反余)・二九石余。家数三一(うち本村二二・余田八・法曾原三・中白一、ただし合計と数値合わず)、日蓮宗本久ほんきゆう(現和気郡佐伯町)檀家二九、同宗仁堀東にぼりひがし妙法みようほう寺檀家一、一向宗米沢よねざわ(現佐伯町)光現寺檀家一。

暮田村
くれたむら

[現在地名]津山市平福ひらふく

吉井川へ南からさら川が注ぐ付近に位置する。明治八年(一八七五)村絵図(津山郷土博物館蔵)によると、古城ふるじよう村と複雑に入交じっている。長岡ながおか庄関係史料に「榑田」がみえる。元禄一一年(一六九八)以後も津山藩領。集落は承応元年(一六五二)「山上り」によって丘陵地に移転(美作略史)正保郷帳では田方一三七石余・畑方一三石、元禄一〇年の美作国郡村高辻帳では一七九石余、うち改出高二六石余・開高二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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