晴明町(読み)せいめいちよう

日本歴史地名大系 「晴明町」の解説

晴明町
せいめいちよう

中京区二条通麩屋町西入

東西に通る二条にじよう(旧二条大路)を挟む両側町。町の中央を南北に富小路とみのこうじ通が通る。

平安京の条坊では左京二条四坊三保一二町の南側と、二条大路上にあたる。平安中期以降は二条大路富小路の西の地。

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「二条鶴屋丁」とあり、筆描図系の絵図では、寛文末から元禄の頃に「晴明町」となる。

晴明町
せいめいちよう

上京区葭屋町通一条上ル

南北に葭屋町よしやまち通が通り、南は一条いちじよう通。中世村雲むらくもの地。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「せいめい丁」と出、寛文五年(一六六五)刊「京雀」には「神明町」とある。中世には東側に油小路家の邸があったという(坊目誌)

明和年間(一七六四―七二)西陣織生糸が品薄となり高騰した。地方絹の生産が増大して糸が地方へ流れ、また地方絹が京都へ流入して西陣織業者は困窮し、明和六年三月一三日、京都町奉行へこれを阻止するよう訴えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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