是円(読み)ぜえん

改訂新版 世界大百科事典 「是円」の意味・わかりやすい解説

是円 (ぜえん)

鎌倉末~南北朝初期の明法家。生没年不詳。中原章賢の法名。また是円房道昭ともいう。章継の子。1292年(正応5)右衛門尉が初見,1312年(正和1)以前に出家。建武中興政府の雑訴決断所法体で出仕したが,その瓦解とともに足利氏に属し,36年(延元1・建武3)11月,尊氏の諮詢に答えて提出したのが《建武式目》である。同書に署名している真恵は是円の弟で46年(正平1・貞和2)65歳で死亡しているから,是円の生没年もほぼ推定しうる。従来,是円を鎌倉幕府評定衆二階堂氏とみていたが,中原氏と判明したことは《建武式目》の評価にも影響があろう。是円は公家法のみでなく武家法にも詳しく,《御成敗式目》の注釈書(いわゆる是円抄)を著している。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「是円」の解説

是円 ぜえん

中原章賢(なかはらの-のりかた)

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世界大百科事典(旧版)内の是円の言及

【建武式目】より

…1336年(延元1∥建武3)11月7日立法された室町幕府の法令。ただし一般の幕府法が将軍や評定会議の決定を下達する形式をとるのに対し,この法は中原是円(是円),真恵兄弟らが足利尊氏の諮問に答えた上申書の体裁をとっており,単なる意見書であって正式な制定法とはいえないとする説が古くから行われているが,現在では形式のいかんにかかわらず,実質的には制定法と同じ効力をもったとする説がむしろ定説である。 内容は,(1)幕府の所在地を鎌倉に置くか他所に移すか,(2)どのような法理によって政道を進めていくか,の2編に分かれ,(2)は聖徳太子の十七条憲法と同じく17ヵ条から成っている。…

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