星 亨(読み)ホシ トオル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「星 亨」の解説

星 亨
ホシ トオル


肩書
逓信相,衆院議員(政友会),東京市参事会員

別名
幼名=浜吉 登

生年月日
嘉永3年4月(1850年)

出生地
江戸・築地小田原町

経歴
横浜で英語を学び、大阪の塾で陸奥宗光に英語を教えた。その縁で明治7年横浜税関長となった。同年英国留学、法律を修め10年帰国、11年司法省付属代言人となる。15年自由党に入り「自由新聞」により藩閥政府を批判。16年福島事件の河野広中を弁護。17年官吏侮辱の罪に問われ、20年保安条例発布で東京を追われた。21年出版条例違反で入獄。22年出獄し、欧米漫遊。25年栃木県から衆院議員に当選議長となったが、相馬事件などの嫌疑を受け除名。次の選挙に当選、29年駐米公使。31年憲政党基盤の大隈内閣成立を知り帰国、憲政党を分裂させ、33年立憲政友会創立に参加、第4次伊藤内閣で逓信相となったが、東京市疑獄事件で辞職。のち東京市議、市参事会員となり、政友会院内総務として活躍した。政敵も多く、34年6月剣客・伊庭想太郎により東京市役所内で刺殺された。

没年月日
明治34年6月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「星 亨」の解説

星 亨
ホシ トオル

明治期の政治家 逓信相;衆院議員(政友会);東京市参事会員。



生年
嘉永3年4月(1850年)

没年
明治34(1901)年6月21日

出生地
江戸・築地小田原町

別名
幼名=浜吉,登

経歴
横浜で英語を学び、大阪の塾で陸奥宗光に英語を教えた。その縁で明治7年横浜税関長となった。同年英国留学、法律を修め10年帰国、11年司法省付属代言人となる。15年自由党に入り「自由新聞」により藩閥政府を批判。16年福島事件の河野広中を弁護。17年官吏侮辱の罪に問われ、20年保安条例発布で東京を追われた。21年出版条例違反で入獄。22年出獄し、欧米漫遊。25年栃木県から衆院議員に当選、議長となったが、相馬事件などの嫌疑を受け除名。次の選挙に当選、29年駐米公使。31年憲政党基盤の大隈内閣成立を知り帰国、憲政党を分裂させ、33年立憲政友会創立に参加、第4次伊藤内閣で逓信相となったが、東京市疑獄事件で辞職。のち東京市議、市参事会員となり、政友会院内総務として活躍した。政敵も多く、34年6月剣客・伊庭想太郎により東京市役所内で刺殺された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報