昌休(読み)しょうきゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「昌休」の意味・わかりやすい解説

昌休
しょうきゅう
(1510―1552)

室町末期の連歌師(れんがし)。俗名里村弥次郎尭景(たかかげ)。号指雪斎(しせつさい)。近江(おうみ)国(滋賀県)出身という。武士の家に生まれたが父の意向で出家させられ連歌師となる。連歌は宗碩(そうせき)、周桂(しゅうけい)、宗牧(そうぼく)らに学び、また三条西実隆(さねたか)とも早くから交渉があった。1537年(天文6)ごろから連歌の作品が残され、1540年代には第一線で活動している。子に昌叱(しょうしつ)(1539―1603)があり、この親子に始まる里村家はいわゆる連歌の家の代表格で、幕末まで続いて、幕府や諸大名に仕えた。多くの連歌作品のほか、『昌休発句集』、『休聞集』(『源氏物語』の注釈書)などの著作がある。

奥田 勲]

『奥田勲著『連歌師』(1961・評論社)』

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