早瀬関跡(読み)はやせのせきあと

日本歴史地名大系 「早瀬関跡」の解説

早瀬関跡
はやせのせきあと

せき集落に中世末期設けられた関所と伝え、のちしもの関と改称されたというが、その旧跡もさだかでなく関という集落名がその名残か。

「関村安永風土記」では関町宿場の内に関跡があると伝え、同風土記の御嶽蔵王みたけざおう権現社の条には、天文二四年(一五五五)造営時の棟札の全文を載せ、「奥州刈田郡早瀬関」「大檀那中野常陸介并本願主関政処二平縫殿介久種」と記される。中野常陸介は伊達家の宿老で、天文当時はこの地を知行して関の八幡はちまん館に居したとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報