日本橋二丁目(読み)につぽんばしにちようめ

日本歴史地名大系 「日本橋二丁目」の解説

日本橋二丁目
につぽんばしにちようめ

[現在地名]南区日本橋一丁目

日本橋一丁目の南に続く両側町で、寛政五年(一七九三)まではなが町二丁目と称した(浪速区の→長町。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数二七・役数三八役で、うち年寄分一役が無役。年寄は和泉屋三郎右衛門。石丸定次が町奉行在職中に所限りの株として一七軒の木賃宿が許された(比田氏諸留写)。しかし寛政三年には木賃宿はなく、旅籠屋一軒があった(「木賃宿旅籠屋名前及宿泊人書上」大阪商業大学蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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