日ロ航空協定(読み)にちろこうくうきょうてい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日ロ航空協定」の意味・わかりやすい解説

日ロ航空協定
にちろこうくうきょうてい

日本とロシアの間の航空協定。日本・ロシア間の航空業務は、当初ソビエト連邦時代に日本とソ連の間で締結された日ソ航空協定(正式名称は「航空業務に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定」)によって行われた。日ソ航空協定は、日ソ間の国交回復後、ソ連側の申入れにより交渉が開始された。ソ連側はシベリア上空を外国機に開放できないことを主張し、交渉は難航したが、1965年(昭和40)東京における交渉により合意が成立し、1966年1月21日署名、1967年3月3日発効した。

 この協定は、両国首都間および以遠の自国機・自国乗組員による相互乗入れの権利を認め、議定書で暫定的に両国航空企業がソ連機とソ連人乗組員を共同でチャーターして東京―モスクワ間の共同運航を行うことを取り決め、共同運航細部について交換公文を取り交わした。この共同運航に伴う商務協定が1967年日本航空とアエロフロート(現、アエロフロート・ロシア航空)との間に合意され、共同運航が開始された。ついで1969年自主運航に移行する合意がなされ、日本航空は1970年よりモスクワ経由のヨーロッパ線の運航を開始した。ソ連崩壊後は、1993年(平成5)ロシア大統領エリツィン来日の際、日ソ間で現存する「すべての条約、その他の国際約束」の有効性が確認され、日ロ間の航空業務は、この日ソ航空協定を継承して運営されることになった。

 その後、2011年11月に両国の航空当局間の協議が行われ、2012年3月末日からの夏季スケジュール以降、日本側のシベリア上空を通過する便に関する規制緩和(便数の増大)、ロシア側の成田国際空港発着路線の輸送力拡大、日本とロシア間のコードシェア(共同運航便。一つの便に複数の航空会社の便名がついて、販売される)の承認範囲拡大などで合意し、大幅な自由化が推し進められてきた。しかし、2022年(令和4)2月に起こったロシアのウクライナへの侵攻を受け、安全上の配慮から、航空会社はシベリア上空ルートの飛行を避け、北回り、南回りへのルート変更を余儀なくされている。

[池田文雄・戸崎 肇 2023年4月20日]

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