日本大百科全書(ニッポニカ) 「施薬院(せやくいん)」の意味・わかりやすい解説
施薬院(せやくいん)
せやくいん
「やくいん」とも読む。貧窮の病人に薬を施して療養させる施設。593年(推古天皇1)聖徳太子が四天王寺(してんのうじ)に置いたと伝えるが、確かでない。723年(養老7)興福寺に悲田院とともに設けられ、730年(天平2)光明(こうみょう)皇后が皇后宮職(こうごうぐうしき)に設立し、職封(しきふ)と藤原不比等(ふひと)の封戸(ふこ)の一部を費用にあてている。825年(天長2)には院使以下の官員を定め、『延喜式(えんぎしき)』には、京中の路辺に倒れた病人を収容すること、それに用いる綿などの量を規定している。院使は1059年(康平2)以後、丹波(たんば)氏の世襲となり、しだいに形骸(けいがい)化した。16世紀末、豊臣(とよとみ)秀吉が僧全宗(ぜんしゅう)を院使に任じて施薬院を復興させたが、まもなく名目だけの官職となる。
[中井真孝]