新革屋町(読み)しんかわやちよう

日本歴史地名大系 「新革屋町」の解説

新革屋町
しんかわやちよう

[現在地名]千代田区内神田うちかんだ三丁目・鍛冶町かじちよう一丁目

中之なかの橋から北に向かう道筋に沿った両側町。西は茶屋四郎次郎ちややしろうじろう拝借地・町会所付まちがいしよつき請負地・竜閑りゆうかん町上納地、南は今川橋いまがわばし埋立地、北は町会所付請負地。江戸時代前期以来の町地で、寛文新板江戸絵図に「新かわや丁」とみえる。沿革図書によると南北の通りを挟む両側町であったが、天和年間(一六八一―八四)には南半分が収公されており、享保年間(一七一六―三六)には北半分も収公され町域が狭まり幕末に至る。公役町で、小間数は田舎間二五間、松下まつした町立跡・横大工よこだいく町立跡・永富ながとみ町立跡に代地があった(安永三年小間附町鑑)。文政七年(一八二四)の江戸買物独案内に料理屋加賀屋が載る。明治二年(一八六九)千代田ちよだ町の一部となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android