新野西村(読み)にいのにしむら

日本歴史地名大系 「新野西村」の解説

新野西村
にいのにしむら

[現在地名]勝北町西上にしかみ西中にしなか西下にししも

新野東村の西、山形仙やまがたせんの南麓扇状地に立地。北東は広戸ひろど村。正保郷帳に村名がみえ、田一千四五石余・畑一一五石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高三〇一石余・開高六八石余、村位は中。美作国郡村高并戸数里程事(武家聞伝記)によれば、延宝(一六七三―八一)頃と考えられる戸数七五(うち上岡田一〇・中田一三・そうり八・中西二三など)、延宝四年からは津山藩主の弟森長俊領。元禄二年の鉄砲改帳(弓斎叢書)では用心鉄砲一。森氏断絶後は幕府領だが、宝永五年(一七〇八)の一ヵ年は甲斐甲府藩主徳川綱豊領、のち幕府領、延享二年(一七四五)から因幡鳥取藩預、同四年から常陸土浦藩領(「美作国郷村支配記」ほか)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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