新綿番船(読み)しんめんばんせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新綿番船」の意味・わかりやすい解説

新綿番船
しんめんばんせん

江戸時代,毎年秋に収穫された新綿を,菱垣廻船競争大坂から江戸へ輸送した年1度の行事。遅くも江戸十組問屋が成立した元禄7 (1694) 年の数年後から始められ,大坂の菱垣廻船問屋がそれぞれ1隻ずつ仕立てた菱垣廻船で同時に安治川口を出帆し,浦賀到着の順位勝敗を決めた。1着になった廻船には,船頭以下に賞金翌年の番船仕立ての際,優先的に積荷ができるという特権が与えられた。当初は通常の菱垣廻船が大坂-江戸間を平均 30日程度で航海していたから,レースの番船でもかなりの日数を要したようであるが,幕末期になると,5日前後で走破するようになり,最高では 48時間という快記録がある。このレースは大坂や江戸の人々の人気を呼び,その勝敗に対して賭けが行われたほどであった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新綿番船の言及

【番船】より

…当時の人々はこのレースに賭をし,人気を集めた年中行事であった。綿の場合は新綿番船といって,大坂菱垣廻船問屋によって菱垣廻船が仕立てられ,酒の場合は新酒番船と称して,大坂・西宮の樽廻船問屋によって樽廻船が仕立てられた。その始まりは,新綿番船は遅くとも元禄年間(1688‐1704)と推定され,新酒番船も樽廻船が菱垣廻船から分離独立した1730年(享保15)以前に行われていた。…

※「新綿番船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」