菱垣廻船(読み)ひがきかいせん

精選版 日本国語大辞典 「菱垣廻船」の意味・読み・例文・類語

ひがき‐かいせん ‥クヮイセン【菱垣廻船】

〘名〙 江戸・大坂間の海運主力となり、木綿・油・酒・薬その他江戸の必要とする日用品を輸送した菱垣廻船問屋専属の廻船船体は一般廻船と同様の弁才船形式だが、舷側垣立下部の筋を、菱垣菱組格子)とした点が外観上の違いで、そこから生じた名称。元祿七年(一六九四荷主らが江戸十組問屋を結成し、廻船はその共同所有となるとともに、菱垣廻船問屋は廻船運航の差配機関となったが、享保八年(一七二三)には七百石積前後の廻船一六〇艘を保有し、輸送力は絶大となった。しかし同一五年、酒問屋が十組問屋から脱退して酒荷専用の樽廻船を独自に運航させ、その迅速性から菱垣荷物の樽廻船への洩積(もれづみ)が起こって、両者競合が幕末期まで続いた。菱垣定仕建船。菱垣船
御触書天保集成‐一〇五・文化五年(1808)一二月「上方表より諸色積下候菱垣廻船之儀」

ひしがき‐かいせん ‥クヮイセン【菱垣廻船】

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デジタル大辞泉 「菱垣廻船」の意味・読み・例文・類語

ひがき‐かいせん〔‐クワイセン〕【×菱垣×廻船】

江戸時代、江戸・大坂間の定期貨物船。積み荷が落ちないよう、左右の船べりにさくのように立てた垣立かきたつをひし形に組んだのでこの名がある。江戸の十組問屋とくみどいやと大坂の二十四組問屋とに属し、江戸で用いる木綿・油・酒などの日用品や幕府諸藩の荷物の運送に当たり、公の保護を受けていた。江戸末期には樽廻船たるかいせんに圧倒されて衰退した。菱垣船。

ひしがき‐かいせん〔‐クワイセン〕【×菱垣×廻船】

ひがきかいせん(菱垣廻船)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菱垣廻船」の意味・わかりやすい解説

菱垣廻船
ひがきかいせん

江戸時代、樽(たる)廻船とともに江戸―大坂間を航行した商船で、大坂から木綿、油、酒、しょうゆなどの日常生活必需物資を積んで江戸へ廻送した。船体は「べざい」「べんざい船」(弁才船)といわれる大和(やまと)形帆船で、通称千石船とよばれた荷船のことである。樽廻船などの千石船と区別して「菱垣」とよばれたのは、舷側垣立(げんそくかきだつ)の下部の筋(すじ)を菱組の格子(こうし)としたことによる。このように外見上区別したのは、江戸十組問屋(とくみどんや)専属の廻船であることを明示し、幕府はじめ諸大名の公用荷物の輸送にもあずかる、という特権を表す一種のトレードマークであった。その発端は1619年(元和5)堺(さかい)の商人が紀州富田(とんだ)浦の廻船を借り受け、大坂より江戸積みしたのに始まり、さらに24年(寛永1)大坂の泉屋平右衛門(へいえもん)が江戸積み船問屋をおこし、27年には毛馬(けま)屋、富田(とんだ)屋など5軒も船問屋を開き大坂の菱垣廻船問屋が成立した。1694年(元禄7)荷主の江戸問屋が十組問屋仲間を結成し、菱垣廻船はその共同所有船となり、菱垣廻船問屋の差配のもとに運営された。しかし1730年(享保15)ごろより酒荷専用船としての樽廻船が登場し、それが酒荷以外の荒荷(雑貨)をも混積するようになって、菱垣・樽両廻船の積み荷をめぐる競合が続いた。幕末期には完全に菱垣廻船は樽廻船によって弱体化されてしまった。

柚木 学]

『柚木学著『近世海運史の研究』(1979・法政大学出版局)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菱垣廻船」の意味・わかりやすい解説

菱垣廻船
ひがきかいせん

江戸時代,江戸-大坂間を定期に航行した廻船の一つ。舷側に檜板や竹で菱形の垣を設けて積荷の落下を防いだところから菱垣と呼ばれた。元和5 (1619) 年堺の一商人が 250石の船を賃借して木綿,油,酒などを積んで江戸へ輸送したのが最初といわれる。寛永1 (24) 年に江戸-大坂間の定期運送が泉屋平右衛門により開始され,当初は 200~400石積み程度であったが,のちには 1000石積みも出現し (→千石船 ) ,積荷は木綿,油,酒,酢,醤油など日用雑貨品が多かった。寛永年間 (24~44) には隆盛をきわめ,元禄7 (94) 年には江戸の菱垣船積合荷主が十組問屋を結成,同じ頃大坂の江戸積問屋仲間が二十四組問屋を結成した。しかしこの頃からおもに酒を輸送する樽廻船の出現により,積荷の争奪をめぐって両廻船の紛争が絶えなかった。安永1 (1772) 年両廻船の協定が結ばれ,同2年には株仲間を公許されたが,次第に樽廻船に圧倒され,天保の改革による株仲間の解散,それによる積荷協定の破棄,そのうえ幕末蒸気船の出現によって致命的打撃を受けた。 1875年樽廻船と合併,組合をつくった。

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百科事典マイペディア 「菱垣廻船」の意味・わかりやすい解説

菱垣廻船【ひがきかいせん】

江戸時代,樽(たる)廻船とともに大坂〜江戸間の貨物輸送に従事した廻船。寛永年間(1624年―1644年)に定期運送業として確立。両玄にヒノキの薄板か竹で菱形の垣をつけて積荷の落下防止と目印を兼ねたのでこの名がある。17世紀末江戸にできた十組問屋や,これに呼応してできた大坂の二十四組問屋が菱垣廻船を支配し輸送を独占。のち樽廻船に圧倒された。檜垣廻船とも記す。
→関連項目廻(回)船

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「菱垣廻船」の解説

菱垣廻船
ひがきかいせん

江戸時代,大坂から江戸に下り荷を輸送した廻船集団。元和年間に和泉国堺商人によって運航された江戸への廻船が始まり。その後1694年(元禄7)に,商品独占の特権を与えられた江戸十組問屋仲間の支配下におかれた。十組は廻船建造・改修の資金援助,船具・積載量の立入検査,海難の調査と共同海損を行い,菱垣廻船の信用を高め,隆盛をもたらした。元禄年間には260艘を数えたというが,のち樽(たる)廻船や,近世後期に輩出する新興廻船集団に押され低迷する。幕府はこれに危機感をもち,菱垣廻船一方積(いっぽうづみ)や紀州廻船の強制編入などの措置をとったが,劣勢は挽回できなかった。名称は,十組専用船であることを誇示する垣立(かきだつ)の菱組格子(ひしくみこうし)による。

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旺文社日本史事典 三訂版 「菱垣廻船」の解説

菱垣廻船
ひがきかいせん

江戸時代,大坂〜江戸の間を運航した廻船
船の側面に積荷保護のために檜 (ひのき) か竹を交叉して菱形の垣をつくったためこの名がある。17世紀初め,堺の商人が大坂から綿・油などを江戸に廻送したのが始まり。17世紀末に二十四組問屋・十組問屋に従属した。18世紀初めから船足の早い樽廻船におされ始め,天保の株仲間解散で急速に衰退した。

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