新町橋(読み)しんまちばし

日本歴史地名大系 「新町橋」の解説

新町橋
しんまちばし

うち町と新町間の新町川に架けられた木橋。架橋の時期は不詳であるが、寛永八―一三年(一六三一―三六)の忠英様御代御山下画図には描かれており、蜂須賀家政入国直後に架橋されたことが想像される。規模は元禄四年(一六九一)御山下絵図によれば長さ四七間・幅四間で、両岸からは橋台が張出し、欄干擬宝珠の付いた木橋であった。新町橋は徳島城下の中心的町人地であった内町と新町を結ぶ橋であり、徳島城鷲の門わしのもん起点とした伊予街道・土佐街道等の官道が通る交通の要衝であったため、同橋北詰の内町側には木戸と札辻番所を設け通行人を監視していた。札辻番所がいつ設置されたか不詳であるが、初め鉄砲の者が勤め、貞享年間(一六八四―八八)からは町中に位置したので町同心から選任されるようになったという(「成立書并系図共西条勘左衛門」徳島大学附属図書館蔵)。同所は幕府巡見使の通行路にあたっていたため、巡見使が通行する際には町同心を三人増員し警護にあたらせた(寛政元年「宝暦度御記録書抜伺下知帳」蜂須賀家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新町橋の言及

【新町】より

…瓢簞町を中心に佐渡島町,葭原(吉原)町,新京橋町,新堀町が形成されて五曲輪(ごくるわ)といい,ややおくれてできた九軒町,佐渡屋町を加えて新町と総称した。72年(寛文12)廓繁盛のため新町大門と島之内順慶町とを結ぶ新町橋(瓢簞橋)を南横堀川に架設。遊客らを相手に順慶町の夜店が開かれ,大坂名物となったが,76年(延宝4)新町の夜店も許可され,86年(貞享3)には茶屋株18株が公認された。…

※「新町橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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