新田野村(読み)につたのむら

日本歴史地名大系 「新田野村」の解説

新田野村
につたのむら

[現在地名]大原町新田野

佐室さむろ村の北西に位置し、西端を大多喜おおたき城下(現大多喜町)御宿おんじゆく海岸(現御宿町)を結ぶ道が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に新田野村とみえ、高一千三七一石。慶長二年(一五九七)大多喜城主本多忠勝の検地があり、その新田野郷御縄内水帳(本吉家文書)には、田畑屋敷の一筆ごとに「甚五兵給、左京助分、主作」と給人名が記される。同五年の大多喜藩領分高付帳(大木家文書)では高一千四九〇石余。のち枝郷の下原しもはら村・細尾ほそお村・柳戸やなぎど村を分村。寛永一〇年(一六三三)に当村と下原村は旗本榊原領となったとみられる(寛政重修諸家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android