新川町(読み)しんかわまち

日本歴史地名大系 「新川町」の解説

新川町
しんかわまち

[現在地名]春野町森山

森山の仁淀もりやまのによど川寄りに位置し、近世初期に成立した在郷町弘岡ひろおか井筋の完成で仁淀川上流域の物資は同井筋と新川川を通じて浦戸うらど湾から高知城下へ運ばれることになり、その中継地として繁栄した。「土佐州郡志」は「東西三町余、有船運漕」と記す。

慶安元年(一六四八)に始まる、野中兼山による弘岡井筋築造に伴い、町は承応元年(一六五二)に成立したという(弘化元年奉愁願書「土佐藩商業経済史」所引)。その直接の要因は、弘岡井筋を新川川に接続するため新川閘(俗に新川落しという)が当地に構築されたことである。

新川町
しんかわちよう

[現在地名]函館市新川町・上新川町かみしんかわちよう千歳町ちとせちようなど

明治三八年(一九〇五)東川ひがしかわ町を分割して新設された町。松風まつかぜ町・大森おおもり町の北東に位置する。町の東部を明治二〇年一一月に亀田かめだ川の切替工事で誕生した通称新川が流れ、町名はこれによった。同三八年の戸数一二二・人口四五八(伊藤鋳之助文書)。同四二年の町域面積は一八万四千二四一坪(函館区統計)。大正九年(一九二〇)の第一回国勢調査時には世帯数二千三六二・人口一万二二〇。

新川町
しんかわちよう

面積:四・八四平方キロ

西春日井郡の西南端に位置し、東は西枇杷島にしびわじま町、南は庄内川を隔てて名古屋市中村区、西は海部あま甚目寺じもくじ町、西北清洲きよす町と接している。明治二二年(一八八九)土器野かわらけの新田上河原かみかわら村・中河原村・下河原村が合併して新川村となり、翌二三年に町制を施行。一方、同二二年寺野てらの村・助七すけしち新田が合併して寺野村となり、翌年西堀江にしほりえ村とぐち村が合併して桃栄とうえい町となった。同三九年新川町は桃栄町・寺野村・阿原あわら村を吸収合併して今日に及んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報