新居関(読み)あらいのせき

精選版 日本国語大辞典 「新居関」の意味・読み・例文・類語

あらい‐の‐せき あらゐ‥【新居関】

江戸時代遠江国新居宿(静岡県新居町)に置かれていた、箱根関とならぶ東海道の重要な関所。今切関(いまぎれのせき)とも。

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改訂新版 世界大百科事典 「新居関」の意味・わかりやすい解説

新居関 (あらいのせき)

東海道のほぼ中間に位置する遠江国(静岡県)新居宿(湖西市東端の関所。今切渡(いまぎれのわたし)に併設され,今切関ともいう。最初は江戸幕府直轄で1000石から4000石余取り程度の旗本が新居関所奉行として赴任。1702年(元禄15)からは三河国(愛知県)吉田藩にその管理を委嘱。関所は常備武具として弓25張,鉄砲25丁のほか各種が完備し,役人も奉行以下,侍・足軽がそれぞれ20名前後,同心10名,改め女2名のつごう50名余が常駐。江戸時代で最も規模の大きい関所である。検閲の対象は〈入鉄砲に出女〉を基幹とし,関所破りを防止するため,裏関所として浜名湖北岸の本坂通り(姫街道)に気賀けが)関を,鳳来寺参詣道に金指(かなさし)関を配置する一方,浜名湖周辺数十ヵ村に対し,関所検閲の協力を強制する〈海辺改め制度〉を適用し,警戒は厳重を極めた。1869年(明治2)廃関。全国で唯一,関所の遺構が現存し,特別史跡の指定をうけ,その敷地東隣に関所史料館が建てられている。
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百科事典マイペディア 「新居関」の意味・わかりやすい解説

新居関【あらいのせき】

東海道の遠江国新居宿(現静岡県湖西市新居町)東端に置かれた関所。今切(いまぎれ)関ともいう。当初は幕府が旗本を関所奉行として派遣したが,1702年からは三河国吉田藩が管理した。江戸時代,もっとも規模の大きい関所の一つとされ,役人は奉行以下,侍・足軽がそれぞれ20人ほど,同心10人,改め女2人の50余名がおり,常備武具として弓25張・鉄砲25挺なども備えられていた。警戒は厳重で,裏関所として浜名(はまな)湖北岸の姫街道に気賀(けが)関(静岡県浜松市細江町),その北東方に金指(かなさし)関(同県浜松市引佐町)があったほか,浜名湖周辺数十ヵ村に関所検閲の役が課せられた。1869年廃止。遺構は国の特別史跡に指定され,東隣には関所史料館がある。
→関連項目新居[町]今切渡

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新居関」の意味・わかりやすい解説

新居関
あらいのせき

現在の静岡県湖西市にあった関所。「荒井」「新井関」とも書き,「今切関 (いまぎれのせき) 」ともいう。東海道の要地であったことから,慶長5(1600)年徳川家康が創設。初め幕府直轄であったが,元禄15(1702)年豊橋城主の管轄下に入り,箱根関とともに厳重な通行取り調べが行なわれた。明治2(1869)年に廃止。地震や津波による被災と移転を繰り返したが,安政2(1855)年に改築された建物が残されており,現存する唯一の関所建物として国の特別史跡に指定されている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「新居関」の解説

新居関
あらいのせき

今切関 (いまぎれのせき)

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