新居関所跡(読み)あらいせきしよあと

日本歴史地名大系 「新居関所跡」の解説

新居関所跡
あらいせきしよあと

[現在地名]新居町新居

近世の東海道新居宿に設置された関所。今切いまぎれ関所とも称され、宿場町の東端部に位置した。国指定特別史跡。戦国期には当地で関銭の徴収が行われていた。永禄五年(一五六二)宇布見うぶみ(現雄踏町)周辺を知行した今川氏の家臣中安安定の非法を土豪の中村源左衛門らが訴える事件があり、翌六年九月九日の今川氏真判物写(中村文書)に「新居関銭不同ニ書載之条、五拾貫文ニ相定畢」とある。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦を契機として、徳川政権は各地に関所を設置した。当関所もこの時期に設置されたが、慶長五年説と同六年説がある。元禄一二年(一六九九)八月の暴風雨により大破したため、同一四年に約二町西方の藤十郎山とうじゆうろうやまに移転した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報