文室村(読み)ふむろむら

日本歴史地名大系 「文室村」の解説

文室村
ふむろむら

[現在地名]余呉町文室

河並かわなみ村の北、西境の文室山に発し東流する文室川の谷口部の山村。西の祝山ほりやま(現西浅井町)へは文室山越足海たるみ山越(権現坂越)の二筋の道がある。村境の茂山に天正一一年(一五八三)賤ヶ岳の戦で前田利家・利長父子が一時駐屯したと伝える。宝暦二年(一七五二)の村明細帳(綾戸文書)によれば、慶長七年(一六〇二)の検地高三二四石余で反別は田二三町余・畑七町二反余・屋敷一反九畝余。

文室村
ふむろむら

[現在地名]武生市文室町

文室川上流の谷あいにあり、萱谷かやだに村の東に位置する。奥文室おくふむろ口文室くちふむろ木留きとめに分れる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図の今南西いまなんせい郡に村名と高三四八・六七八石が記され、正保郷帳によると田方九五石余・畠方二五三石余。はじめ福井藩領で、貞享三年(一六八六)以降幕府領。元文三年(一七三八)の今立郡新村組人家御改村惣寄帳(「越前宗門帳」所収)では家数六四(うち高持四六・雑家一五・寺一)・人数一九八。

文室村
ふむろむら

[現在地名]青垣町文室

南端を佐治さじ(加古川)が流れ東は市原いちばら村。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高一九石余・畠高六三石余、柴山あり、日損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領となり、国立史料館本元禄郷帳でも幕府領。享保一〇年(一七二五)安房北条藩(文政一〇年上総鶴牧藩)領となり(鶴牧藩大概帳)、幕末に至る。前掲大概帳によると家数六七・人数三〇二、牛八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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