敷島町(読み)しきしままち

日本歴史地名大系 「敷島町」の解説

敷島町
しきしままち

面積:四〇・二八平方キロ

郡の北東部に位置し、東はあら川を隔てて甲府市、南は西から南西に流れる川を境に竜王りゆうおう町と接する。西側は同じ貢川の上流からかやヶ岳(一七〇三・五メートル)かねヶ岳(一七六四メートル)の山頂を通る境界に、南から北へ北巨摩郡双葉ふたば町・韮崎市・北巨摩郡明野あけの村・同郡須玉すたま町に接している。境界に並ぶ北部の山岳地帯には右の二山のほかにまがり(一六四二・四メートル)黒富士くろふじ(一五一六メートル)太刀岡たちおか(一二九五メートル)などがある。観音かんのん峠に源を発した清沢きよさわ川は幾つかの支流を集めながら南流して亀沢かめざわ川とよばれるようになり、亀沢の南で荒川と合流する。荒川上流の御岳昇仙みたけしようせん峡は花崗岩を深く浸食した特異な景観から国の特別名勝に指定されている。町南部の荒川と登美とみ坂に挟まれた地域は、荒川の形成した扇状地上にあり宅地化が進んでいる。町の最南端を東西にJR中央本線が通り、その北側を県道甲府―敷島―韮崎線が東西に走っている。中央本線と交錯するように中央自動車道が南東から北西に通る。町名は昭和二九年(一九五四)の合併時に公募によって決められた。

遺跡は南部の平坦地に集中する。縄文時代から中世までの遺跡は一一五ヵ所にも及び、そのうちの一〇〇ヵ所以上が南部に位置する。北部山間地で注目されるのは旧清川きよかわ小学校校庭を含む上福沢の栩木平かみふくざわのくぬぎだいら遺跡である。このほか山間地には縄文中期―後期初頭の土器が発見された上菅口かみすげぐち遺跡・安寺あてら遺跡・下菅口遺跡・前屋まえや遺跡などが分布する。荒川水系の右岸、吉沢の常説きつさわのじようせつ寺西の台地上には中期の勝坂式・曾利式、後期の堀之内式などの土器と石棒・石皿・石斧などが出土している。牛句うしくの東側には縄文中期から後期の遺跡が存在し、境の西川さかいのにしかわにも同様の遺跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報