挙母神社(読み)ころもじんじや

日本歴史地名大系 「挙母神社」の解説

挙母神社
ころもじんじや

[現在地名]豊田市挙母町

祭神高皇産霊神・天邇岐志国邇岐志天津日子番能邇邇芸命・天万栲幡千幡比売命・天之水分神・国之水分神。旧郷社。毘森ひもり社・勝手かつて神社とともにころも三社といわれた。児守こもり明神子守こもり明神とも記した。寛政六年(一七九四)の「挙母記」によると、創建年代は不詳であるが、熊野くまのより来住の鈴木氏が子守・毘森・勝手の三社を勧請したと伝える。

すでに廃寺となっているが、猿投さなげ神社蔵「開解抄」の第一奥書に、応永二二年(一四一五)正月一四日銘で「三州高橋庄子之守之仙蔵坊」、同社蔵「瑜祇経貫玉抄」奥書に同三一年八月一日銘で「三州高橋荘於衣真蔵院」とみえる仙蔵せんぞう坊・真蔵しんぞう院は、それぞれ挙母神社の神宮寺の一坊かと推測されている(豊田市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報