持松村(読み)もちまつむら

日本歴史地名大系 「持松村」の解説

持松村
もちまつむら

[現在地名]牧園町持松

囎唹そお郡に所属。桑原くわはら中津川なかつがわ村・上中津川村の東に位置する。中世用松もちまつ名として名田に編成されており、戦国期より持松と記されるようになったとみられる。大隅国建久図田帳に曾野郡(曾於郡)公田として用松一五町がみえ領主は藤原篤頼と記される。篤頼は国衙の税所職にあった税所氏で、用松名は在庁官人税所氏により領有される在庁別名であった。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)にも、曾於そお郡のうちに「用松十五丁」とある。正和二年(一三一三)一〇月二七日の税所敦胤寄進状(台明寺文書)によれば、「用松名内萩峯五段」が台明だいみよう(現国分市)の日吉山王社に宝前長灯料足田として寄進されている。

持松村
もちまつむら

[現在地名]鹿央町持松

北流する千田ちだ川と岩原いわばる川の中間に位置し、北は長坂ながさこ村・南島みなみじま(現山鹿市)、東は千田村、西は郷原ごうばる村と接する。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると田七一町五反三畝余・畠六二町七反八畝・屋敷一六筆二町五反三畝余、分米一千一七一石余。同一三年の検地打出帳には田二一町九畝余・畠一八町六反八畝余・屋敷三筆三反五畝余、家数三・人数九、牛馬三とある。近世玉名たまな郡中富手永に属した。「国誌」に「菰入ト云小村アリ」とある。文化一一年(一八一四)中富手永手鑑では家数八一・人数三一六、馬五四、医師二、質屋三、紺屋一、油本手一、下ケ名に汁免・八反牟田・柿迫・水堀高廻りなどがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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