押立保(読み)おしたてほ

日本歴史地名大系 「押立保」の解説

押立保
おしたてほ

横溝よこみぞ押立神社のある菩提寺ぼだいじ地区付近に比定される主殿寮領の保。鎌倉前期より主殿頭を世襲した小槻(壬生)氏が相伝・知行する。文治六年(一一九〇)主殿寮年預伴守方解(壬生家文書、以下断らない限り同文書)に押立郷とみえる。主殿寮は近江国から国司を通じて年別に油三石六斗余と大糧米一〇〇石を徴収してきたが、徴収量が激減した。このため国司より国衙領の同郷を便補の保とされ、当保から直接徴収することとなった。ただし地頭が設置されていたので米は未納になっている。これより先、寿永二年(一一八三)七月上洛を目ざす木曾義仲は、百済ひやくさい(現愛東町)より兵糧米五〇〇石を送られた代りに、灯油料として押立五郷を寄進したという(「源平盛衰記」巻三〇木曾山門牒状事)。承久二年(一二二〇)、地頭平時基は主殿寮領押立保の年貢を八八石で請切り、未納の場合は下地を中分すると契約している(四月二五日平時基請文など)。寛喜三年(一二三一)伊勢奉幣の勅使駅家雑事が賦課された時の地頭は家連であった(「某奉書」民経記貞永元年巻裏文書)。元応元年(一三一九)一二月二四日領家方の贄餅二〇枚が藤原光均より納入されている(押立保贄餅送状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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