手越宿・手越郷(読み)てごししゆく・てごしごう

日本歴史地名大系 「手越宿・手越郷」の解説

手越宿・手越郷
てごししゆく・てごしごう

手越宿は現手越付近にあった平安末期から中世東海道宿駅。手越郷はその一帯に比定される戦国期の郷名。

〔手越宿〕

治承四年(一一八〇)一〇月、東下する平維盛軍は「手越駅」に到着(「吾妻鏡」同月一六日条)、源頼朝軍に敗れて西上するとき「手越宿館」で火災に遭っている(「吉記」同年一一月二日条)藁科わらしな川右岸に位置したため軍勢の移動にかかわる記事はほかにも多く、建武二年(一三三五)七月には西上する足利直義軍が手越駅で北条時行軍の襲来を受けている(梅松論)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報