手々村(読み)てぃてぃむら

日本歴史地名大系 「手々村」の解説

手々村
てぃてぃむら

[現在地名]徳之島手々てて

金見かなん村の西に位置し、集落は湾に臨む。ティティという。浜方にサカモト浜が続き、南に天城あまぎ岳がある。地内に大和城やまとぐすく城田ぐしくた神田かんだ惣坊そうぼうなどの地名がある。当地の掟の大八目は琉球王国に招かれて築城に携わり、また大島ひぎや間切の諸鈍しゆうどん(現瀬戸内町)の攻略に功があったと伝え、その墓とされるものがある。また徳之島に初めて移植された蘇鉄は、弓の名人という政勝が諸鈍での射的で勝った際の褒美として持帰ったものという。万暦二八年(一六〇〇)一月二四日の琉球辞令書(深見家文書)に「とくのにしめまき里のてゝのろ」とみえ、当地のノロ職に「もとののろのくわ」、つまり元のノロの子である「まなへたる」(真鍋樽か)が任じられている。「まなへたる」の「ま」「たる」はともに敬称なので、名前としては「なへ」になる。近世西目にしめ間切岡前うわずんのうち。正保琉球国絵図に「西目間切之内てゝ村」とみえ、沿岸よりやや内陸に入った道によって諸村と結ばれているほか、浜方に多数の瀬が描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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