戸次氏(読み)べっきうじ

改訂新版 世界大百科事典 「戸次氏」の意味・わかりやすい解説

戸次氏 (べっきうじ)

〈へつぎ〉とも読む。苗字の地は豊後国大分郡戸次荘(現,大分市)。平安末期以来同荘に大神姓戸次氏がいたが,鎌倉時代になって戸次惟澄が豊後守護大友能直に所領を譲り(一説には能直の孫重秀を養子としたともいう),重秀から大友系戸次氏が始まった。1285年(弘安8)の〈豊後国図田帳〉の戸次荘には重秀の子の時親,重頼,頼親の名が見え,同氏系図にはさらに親直の名もあって,分割相続をしていることがわかる。戸次氏は所領を豊後各地に得て,蒙古襲来後に設けられた鎮西評定衆に戸次氏惣領家時親の子貞直と,庶子家の重頼が名を連ねるなど,隠然たる勢力を有した。南北朝期の正平年間(1346-1370)には,一時南朝に属して所領を失ったが,北朝に降り所領半分を回復した。天正年間(1573-92)は戸次氏の全盛期で戸次道雪(鑑連(あきつら))は大友氏重鎮として活躍,立花氏継ぎ,養子宗茂は柳河藩主となって大友系唯一の近世大名となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報