志久村(読み)しくむら

日本歴史地名大系 「志久村」の解説

志久村
しくむら

[現在地名]北方町大字志久

現北方町中央の北部に位置し、志久峠を境に現多久たく市に接している。

貞和六年(一三五〇)四月の武雄社大宮司藤原亀丸申状(武雄神社文書)に「御寄進地之事 一所、肥前国長島庄志久村内拾町」とある。長島ながしま庄成立は平安時代の後期で蓮華王れんげおう院領であった。鎌倉時代には長島庄惣地頭橘薩摩氏の所領となり、室町時代には竜造寺氏領地となった。のち江戸時代を通して多久氏(水ヶ江竜造寺)が支配する領地であった。

弘化年間(一八四四―四八)多久領主、多久茂族六角ろつかく川から入江を掘って舟の運行をはかり、入江の沿岸に米倉を建てて年貢米を貯蔵した。米価が上がると貯蔵米を出荷したと伝え、当時この米を宿津米しゆくつまいとよび、良質米で有名になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android