徳満寺(読み)とくまんじ

日本歴史地名大系 「徳満寺」の解説

徳満寺
とくまんじ

[現在地名]牟礼村大字牟礼字居村

真宗大谷派、本尊阿弥陀如来

寺伝によれば、寿永二年(一一八三)越前国南条なんじよう脇本わきもと(現福井県武生市)の栄部内蔵之助平義盛なる者が、木曾義仲に襲われて越後国に逃れ、春日山かすがやま麓の大場町に妻子とともに寓居していたが、越後流謫となった親鸞の勧化にあい、初めからこれに厚く帰依した。その後、嫡子隼人は貞応二年(一二二三)祖師親鸞を慕って常陸国稲田いなだの庵室に祖師にまみえて弟子となり、了玄と名を賜り、当国水内郡香代郷(のち神代とす)片岡(今は豊野)に庵室を結んで住した。

徳満寺
とくまんじ

[現在地名]利根町布川

布川ふかわ城跡の西に所在。海珠山多聞院と号し真言宗豊山派。本尊地蔵菩薩。「利根川図志」には「開基詳ならず。元亀年中祐誠上人中興すといふ。本尊地蔵菩薩湛慶作、御長七尺三寸毎年十月廿一日より廿七日まで開帳して、諸人に拝せしむ。その間詣人群集し、商旅来会す。これを地蔵市といふ」とあり、挿図には軽業見世物小屋などや多数の参詣人が描かれている。本尊の開帳と地蔵市(おもに植木市)は現在も行われる。「寛文朱印留」によれば慶長九年(一六〇四)三月一五日に「下総国相馬郡布川郷之内文間村弐拾石」の朱印地が与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報