御用窯跡
ごようがまあと
[現在地名]唐津市町田五丁目
町田五丁目のほぼ中央の丘の西斜面にある。陶器「からつ」は文禄・慶長両役以前に岸岳城周辺で焼成されていた。それ以後については、享保一一年(一七二六)の「喜平次旧記」によれば、慶長元年(一五九六)頃中里又七・福本弥作・大島彦右衛門らが大川野組田代村(現伊万里市)に開窯し、慶長七年川原村(現伊万里市)に移り、元和元年(一六一五)府招村の椎峰(現伊万里市)に窯を移して御用窯を勤めた。以来椎峰は陶器焼きの窯場として賑った。だが元禄一三年(一七〇〇)多くの陶工が追放された「椎峰崩れ」の事件があり、宝永四年(一七〇七)に御用窯は坊主町に移って御茶窯と称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報