得光保(読み)とくみつほ

日本歴史地名大系 「得光保」の解説

得光保
とくみつほ

福井市東南部の徳光とくみつ付近に位置する京都北野神社領の荘園。建久元年(一一九〇)四月一九日付内宮役夫工料未済注文に「越前国得光」とみえる。この注文を記した「吾妻鏡」同年月日条には「造太神宮役夫工米地頭未済事」とあり、地頭が設置されていたことは確実であるが、領有関係については不明である。

下って貞和二年(一三四六)の室町幕府御教書(東京教育大学蔵北野神社文書)

<資料は省略されています>

とあり、次いで観応二年(一三五一)七月三日付の本舜上人宛足利尊氏御判御教書(同文書)でも得光保半分が北野造営料所として認められている。


得光保
とくみつほ

徳光とくみつ町付近に比定される。明徳二年(一三九一)九月二八日付の西大寺末寺帳(極楽寺文書)に「トクミツ称名寺」がみえ、応永年間(一三九四―一四二八)には時衆「トクミツ」の東一房が一五世遊行上人尊恵と結縁している(「時衆過去帳」清浄光寺蔵)。室町幕府奉公衆と思われる得光氏は当地の出身とみられ、文正元年(一四六六)に徳満が加賀北半国守護赤松政則の召還に応じなかったことから知行分の馬市うまいち(現野々市町)闕所とされた(「蔭涼軒日録」同年七月二二日条など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android