きた‐やま【北山】
〘名〙
① 北方の山。
※万葉(8C後)二・一六一「向南山(きたやま)にたなびく雲の青雲の星離れゆき月を離れて」
② 特に、京都北方の諸山の称。船岡山、
衣笠山、岩倉山など。また、その付近の称。
※古今(905‐914)秋下・二九七・詞書「
きた山にもみぢをらんとてまかれりける時によめる」
③ 「来た」の意を「北」にかけていうしゃれ。
(イ) 気があること。
※歌舞伎・稽古筆七いろは(鳩の平右衛門)(1867)「伊兵衛どのがちょこちょこ来るは、おきたどのにきた山(ヤマ)ゆゑぢゃ」
(ロ) 衣服などがいたみ弱ること。また、食物の腐りかかること。
※洒落本・大通契語(1800)「著物はとび色ちりめんの小袖、よほどきた山とみへ」
(ハ) 腹がへること。空腹であること。
※歌舞伎・水天宮利生深川(筆売幸兵衛)(1885)二幕「然も今日も茶粥腹で、おなかが余程北山(キタヤマ)だ」
④ (京都の北山は、口寄せの巫女の多く出るところからのしゃれ) 接吻の異称。
[語誌](1)①の挙例「万葉‐一六一」の「向南山」を、吉野山・香具山などの特定の山をさすとする説もあるが不詳。
(2)平安時代には、②のように山城国愛宕郡(現在の左京区岩倉あたり)と、葛野郡から愛宕郡にかけて(現在の北区紫野から衣笠・鷹ケ峰を含む一帯)の二箇所をさした。
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デジタル大辞泉
「北山」の意味・読み・例文・類語
きた‐やま【北山】
1 北方の山。
2 京都市市街の北側にある山々。船岡山・衣笠山・岩倉山など。また、その一帯の称。
3 《「北」を「来た」の意に掛けた洒落から》
㋐恋慕の情が起こること。ほれること。→来る
「伊兵衛どのがちょこちょこ来るは、おきたどのに―ゆゑぢゃ」〈伎・稽古筆七いろは〉
㋑衣服などがいたんできたこと。また、食物が腐ってきたこと。
「ちりめんの小袖、よほど―と見え」〈洒・大通契語〉
㋒(多く、「腹がきたやま」の形で)腹がへってきたこと。
「ときに腹が―だ」〈滑・膝栗毛・初〉
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きたやま【北山】
京都市の北側の山地の総称で,東山,西山に対する。古くは,三条天皇の北山陵,足利義満の山荘北山殿(金閣はその一部)など,現在の北区衣笠付近から大北山付近をさしたが,現在は丹波高地の南端部を広くさして使われる。北区中川,小野などを中心とする清滝川流域にかけて生産される磨き丸太は,北山丸太あるいは北山杉の名で知られる。【金田 章裕】
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北山
きたやま
[現在地名]小千谷市真人町 北山
真人村最奥地の刈羽郡境に接する集落。真人村枝村で桂平・孫四郎とともに真人村上山地の中心。正保国絵図には北山村・高四六石余として一村に記される。集落の西方約三〇〇メートルに長城と称する丘陵があり、老松の間に空堀の跡が残る。近くの畑から土師器の破片が多く出土。郡境付近に四ッ塚があり、木炭と刀が出土した。塚は北山の支配者の塚とも郡境の塚ともいわれている。「中魚沼郡誌」によると、長城は北山周辺の支配者樋口氏の居城と伝え、現在でも北山には樋口姓が多い。
北山
きたやま
亀山城の東方、東台の北東に続く家中屋敷地。城下台地部の北辺に位置し、北は椋川流域の低地に落込む急斜地となる。石川氏が亀山に入った慶安年間(一六四八―五二)には、すでに多数の足軽が住み、板倉氏による享保一七年(一七三二)の調査では足軽長屋二五棟、延享元年(一七四四)には徒士並侍一一軒、足軽長屋一三一軒を数える(鈴鹿郡野史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報