彼杵宿(読み)そのきじゆく

日本歴史地名大系 「彼杵宿」の解説

彼杵宿
そのきじゆく

[現在地名]東彼杵町彼杵宿郷

彼杵川の河口にある長崎路(長崎街道)宿場で、平戸往還の分岐点となる。北西の川棚かわたな宿(現川棚町)まで二里、北東の俵坂たわらざか峠越で北の嬉野うれしの宿(現佐賀県嬉野町)まで三里、南は千綿ちわた宿を経由して松原まつばら宿(現大村市)まで二里半、大村城下まで五里の路程を継立てた。彼杵村内に一里山が置かれた(慶安二年肥前国道法帳)。また時津とぎつ渡で大村湾の南西にある海路七里の時津(現時津町)まで回漕したが、渡場を別とする松原渡もあった。茶屋と称される彼杵宿本陣はほん町俵坂通にあり、寛永一〇年(一六三三)巡見上使の小出・堀部能勢諸氏がきたとき普請がなり、二一間・二二間半の敷地で家屋五棟を構え、惣瓦葺であった。相対する脇本陣前にほり川から移された制札場があった(大村郷村記)。寛文五年(一六六五)「彼杵両町ニ札馬三疋」を置いて急便および脚逓の用に充てたが、駅吏がその所用真贋をわきまえなかった場合は科銭一貫文を課して馬主に与えることとされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報