店屋町(読み)てんやまち

日本歴史地名大系 「店屋町」の解説

店屋町
てんやまち

[現在地名]博多区店屋町・上呉服町かみごふくまち

西門さいもん橋で石堂いしどう(御笠川)を渡り、博多市中を西に進んで那珂なか(博多川)に突き当る東西路(店屋町の通り)に面する両側町。箔屋番はくやばん西町上にしまちかみの通りを境に西は古小路こしようじ町、小山町下おやままちしも・呉服町上の通りを境に東は魚ノ町が続く(福岡博多近隣古図)。店屋町上(西側)・店屋町下(東側)に分けられた。天文一二年(一五四三)の安山借屋牒(聖福寺文書)に「小者座之店屋十間」「此外魚町之内ニ店屋分四五間アリ、都寺下役飲酒処云々帳之外」などとみえ、この「店屋」が当町の前身にあたるか。元禄三年(一六九〇)の家数は店屋町上二二・店屋町下二一(続風土記)。明和三年(一七六六)には上は家数二三・間数六二間余、下は家数二二・間数五七間余(石城志)。慶応二年(一八六六)の家数は上三二・下三三(博多店運上帳)。産神は櫛田くしだ(続風土記拾遺)

寛文六年(一六六六)店屋町上番の孫左衛門を含む博多の八名に古道具せりもの問屋が許されている。享保元年(一七一六)改の津中酒屋四五軒のうちに店屋町上の森口屋六三郎がいる(津要録)。森口屋は宝永年中(一七〇四―一一)長左衛門の代に表粕屋おもてかすや中原なかばる(現粕屋町)にあった博多たて町分田地縁者であった同町徳兵衛から譲り受けて掛庄屋となったが、長左衛門から四代目の長太郎の代に衰退し、中原村の田地は同村庄屋善五郎の扱いとなった(同書宝暦五年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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