庄島小路(読み)しようじまこうじ

日本歴史地名大系 「庄島小路」の解説

庄島小路
しようじまこうじ

[現在地名]久留米市荘島町しようじままち中央町ちゆうおうまち

町の南にある下級侍屋敷地。もと三潴みづま郡のうちで、荘島とも記される。東は柳川往還沿いに造成された原古賀はらこが町に接し、北および西はおよそ池町いけまち川により形成された池沼や低湿地で区切られた広い地域の侍屋敷地。寛永元年(一六二四)真言宗観音寺、同三年浄土宗無量むりよう寺が「三潴郡庄島小路」に開かれており(寛文十年寺社開基)、当小路の成立は有馬家入部の元和七年(一六二一)からこの間と考えられる。延宝城下図ではのちの当小路の基本路はできているが、無主地も目立つ。北端東西に四ヵ寺が並び、小路中央部に下級藩士の屋敷地および御側足軽屋敷、大工屋敷・御昇屋敷などが配されている。貞享四年(一六八七)高原五兵衛宅からの出火で庄島の過半焼失、御昇衆・御側足軽衆の屋敷は南端に移され、新屋敷ができた(石原家記)。元禄九年(一六九六)たて丁観音寺角の塗師白石仁右衛門宅から出火、当小路の一五〇軒を含めて城下の三千七〇〇軒が焼失という(石原家記・米府年表)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報