広尾線(読み)ひろおせん

日本歴史地名大系 「広尾線」の解説

広尾線
ひろおせん

十勝支庁管内南部、太平洋岸の広尾郡広尾町の広尾駅から北上し、内陸部の帯広市の国鉄(現JR)根室本線帯広駅との間を結んでいた全長八四キロの国鉄の廃止路線。明治三三年(一九〇〇)広尾の有志須田市十郎・渡辺徹三・山崎金助らが須田の友人で当時台湾総督府民生長官であった後藤新平を頼って広尾築港と鉄道敷設内務大臣陳情、同三六年には広尾帯広間連絡支線鉄道期成会が設立されている。同四二年には逓信大臣兼鉄道院総裁となった後藤が鉄道状況視察で来道したのを契機に鉄道敷設運動が活発になった。同四三年には晩成社当縁とうべり牧場の依田勉三らがアイヌを使役して広尾から大樹たいき(現大樹町)忠類ちゆうるい(現忠類村)以平いたいら(現帯広市など)間を踏査止若やむわつか(現幕別町)あるいは帯広に至る間の路線図を紙縒で作製して請願するなどした。当時日高側は日高十勝東海線鉄道(高勝海岸線)敷設を主張、一方十勝側は広尾線期成同盟を結成した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報