平坂貝塚(読み)ひらさかかいづか

日本歴史地名大系 「平坂貝塚」の解説

平坂貝塚
ひらさかかいづか

[現在地名]横須賀市若松町二丁目

京浜急行横須賀中央駅からうわ町へ通じる通称平坂の東側、標高四八メートルの狭い丘陵の西側縁辺部にある縄文時代早期の貝塚。貝塚の層序は下部よりローム層を交えた貝層、混土貝層、マガキを主とした純貝層および表土に分けられる。混土貝層からは撚糸文文様をもつ夏島土器が、純貝層からは無文を主体とする平坂式土器が出土し、この層位関係から両者の編年的位置が確定された。哺乳類としてはマイルカイノシシシカの骨が出土したが量は少ない。魚類としてはマイワシが多く出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平坂貝塚」の意味・わかりやすい解説

平坂貝塚
ひらさかかいづか

神奈川県横須賀(よこすか)市若松町二丁目にある縄文貝塚。横須賀市街地の中心、平坂に面する標高約40メートルの小丘陵の西側および東側の斜面に立地する縄文時代早期初頭の貝塚。西貝塚は、1949年(昭和24)明治大学考古学研究室による発掘が行われ、貝層中より無文(むもん)土器・押型文(おしがたもん)土器、貝層下より撚糸文(よりいともん)土器(夏島(なつしま)式、大丸(だいまる)式)が層位的に出土し、土器の編年研究に大きく寄与した。無文の土器には平坂式の名称が与えられた。貝層下より発見の埋葬人骨は、壮年の男性で原始的な特徴を備え、骨の一部には極度の飢餓の経験を示すという11本の陰影線がみられた。「平坂人骨」として有名である。東貝塚は、マガキを主体とし、夏島式土器、大丸式土器を出す。正式な調査はない。

岡本 勇]

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