常高寺(読み)じようこうじ

日本歴史地名大系 「常高寺」の解説

常高寺
じようこうじ

[現在地名]小浜市浅間

後瀬のちせ山の北西山麓にある。凌霄山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。小浜藩主京極高次の妻常高院(浅井長政女)が寛永七年(一六三〇)栖雲せいうん寺を改めて創建、槐堂を招聘して開山とした(当寺縁起)。同年一一月一日、同藩主京極忠高より東は滝上嶺まで寺から見渡せる限り、西は西林寺岸までの山を安堵されている(「判物」寺蔵文書)。常高院は同一〇年江戸で没し、同年一〇月当寺へ葬られたという。翌一一年七月、子息忠高は賄料として近江蒲生がもう長田おさだ(現滋賀県近江八幡市)のうち一一〇石を宛行ったが(同年七月一五日「京極忠高判物」同文書)、同一五年には将軍徳川家光によって長田村のうち三〇〇石が寄進され(同年二月一五日「徳川家光朱印状写」同文書)、以後江戸時代を通して常高寺領として存続した。


常高寺
じようこうじ

[現在地名]今治市風早町四丁目

天祥山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。開基加藤玄蕃常高は豊臣秀吉家臣であったが、同僚を討ち果して出家、了雲と称し石井いしい村に住んで布教を続けた。藤堂高虎の町割の時、現在の地を拝領し一宇を建立、本願寺末となり、常高を寺号とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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