常吉村(読み)つねよしむら

日本歴史地名大系 「常吉村」の解説

常吉村
つねよしむら

[現在地名]尼崎市常吉一―二丁目・武庫豊町むこゆたかまち二―三丁目・武庫元町むこもとまち二―三丁目・武庫の里むこのさと一―二丁目・常松つねまつ一丁目

常松村の南に位置し、西は武庫川を隔てて上大市かみおいち(現西宮市)。文明一〇年(一四七八)八月四日の室町幕府奉行人連署奉書(宝鏡寺文書)で「摂津国瀬河・桜井・秋永・常吉等半分」を楢葉近江守豊清が宝鏡ほうきよう(現京都市上京区)南御所(足利義政妹)に進め置いたことが伝えられており、当地は同寺領となった。残り半分の楢葉氏の知行はその後も継続したらしく、文亀元年(一五〇一)五月一二日に楢葉貞連は知行する摂州散在所領の一つ常吉名の切米二〇石を被官人渡宗左衛門尉が勝手に質入れしたため、その借書は謀書なので破棄して欲しいこと、また二〇石のうち三石を寺家に寄進したことも関知していないとして幕府に訴えている(「楢葉貞連申状」内閣文庫蔵賦草案之引付)

常吉村
つねよしむら

[現在地名]加西市常吉町

朝妻あさづま村の東に位置し、村の中央部を万願寺まんがんじ川の支流普光寺ふこうじ川が南流する。文禄四年(一五九五)八月一七日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「つねよし村」二四石余とみえる。慶長国絵図には「常よし村」とみえる。正保郷帳では田方三二二石余・畑方二六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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