市橋庄(読み)いちはしのしよう

日本歴史地名大系 「市橋庄」の解説

市橋庄
いちはしのしよう

現岐阜市西部、市橋を遺称地とし、その一帯に成立していた。康治元年(一一四二)六月一〇日の山鹿庄市橋庄文書進上状(仁和寺文書)に「市橋御庄桑木注文壱通在弐枚大治元年取帳」とあり、大治元年(一一二六)にはすでに京都仁和寺領として検注も実施されていたことが知られる。永治元年(一一四一)当庄の内牧うちまき(庄)が東大寺領茜部あかなべ庄を侵したとして、境相論が生じた。このとき当庄住人が差出した陳状には「大教院御領市橋御庄」とあり、仁和寺大教だいきよう院領であった。陳状に引用された茜部庄側の解状によると、当庄は六郷からなり、三〇〇余町の広さがあった。係争地の内牧郷は一〇余町ほどで、とも川を西の境界としていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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