巣鴨遺跡(読み)すがもいせき

日本歴史地名大系 「巣鴨遺跡」の解説

巣鴨遺跡
すがもいせき

[現在地名]豊島区巣鴨一―五丁目

本郷台上を占める。遺跡からは旧石器時代後期・縄文時代などの遺物も出土しているが、中心となるのは近世である。近世御府内の周縁部にあたった遺跡の一帯は武家地部分と町人地部分に大きく区分され、遺跡を縦断する中山道を挟んで北側に武家地が広がり、南側および北側の一部に巣鴨町の町屋が展開していた。

中野組ビル地区(巣鴨I)は、中山道北側の武家地部分に位置し、延宝年間(一六七三―八一)から享保一〇年(一七二五)までは信濃松本藩水野家の下屋敷、以後はおもに旗本拝領屋敷となった地で、調査では南西から北東に走る幅五・五メートル、深さ二メートルの大型の箱薬研堀(一号遺構)を検出した。この堀は覆土に富士宝永山の噴火(宝永四年)で降灰した富士宝永テフラを含むため、水野家の下屋敷拝領以前に掘削されたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報