日本歴史地名大系 「川平山城跡」の解説
川平山城跡
かわひらやまじようあと
[現在地名]総領町稲草
築城の年次は不明であるが、城跡は標高三六〇メートルにあり、南面、北側は空堀で断ち切られ、直径三メートル以上の大井戸がある。城跡には段が五つ認められるが、本丸・二の丸の別は不明。北奥に三角形の平地があり石垣が残る。また山麓東側に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
築城の年次は不明であるが、城跡は標高三六〇メートルにあり、南面、北側は空堀で断ち切られ、直径三メートル以上の大井戸がある。城跡には段が五つ認められるが、本丸・二の丸の別は不明。北奥に三角形の平地があり石垣が残る。また山麓東側に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新