川平山城跡(読み)かわひらやまじようあと

日本歴史地名大系 「川平山城跡」の解説

川平山城跡
かわひらやまじようあと

[現在地名]総領町稲草

田総たぶさ川の北側、意加美おかみ神社東北の川平山にあり、田総庄の地頭田総氏の居城。田総氏は大江広元の子孫永井重広が関東より入部して地名を姓としたが、南北朝期には甲奴町の南部を荘域とする小童ひち保、福山市域の長和ながわ庄東方・石成いわなり庄下村などの地頭職も兼ねた。

築城年次は不明であるが、城跡は標高三六〇メートルにあり、南面、北側は空堀で断ち切られ、直径三メートル以上の大井戸がある。城跡には段が五つ認められるが、本丸・二の丸の別は不明。北奥に三角形の平地があり石垣が残る。また山麓東側に馬場ばばの地名が残る。田総氏は中世を通じこの城を拠点としたが、一五世元好の慶長年中(一五九六―一六一五)毛利氏の長州移封に従ってはぎ城下(現山口県萩市)に移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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