川北郷(読み)かわきたごう

日本歴史地名大系 「川北郷」の解説

川北郷
かわきたごう

高鍋藩が地方支配のため数ヵ村を合せた行政単位で、野別府のびゆう六郷の一つ。東は日向灘に臨み、南は名貫なぬき川を挟んで川南かわみなみ(現川南町)、西は石河内いしがわち(現木城町)、北は臼杵郡と接する。寺迫てらざこ村・征矢原そやばる村・長野ながの村・うりゆう村・岩山いわやま村・篠別府しのびゆう村の現都農町全域と才脇さいわき村・上別府かみのびゆう村・落子おとし村・田原たのはる村・丸山まるやま(現日向市)の一一ヵ村で構成される。名貫川の北部地域は中世から河北とよばれていた。今山いまやま八幡宮(現延岡市)造営の役負担を伝えた応永二六年(一四一九)三月八日の今山八幡宮旧記(今山八幡宮文書)に、般若心経供養の心経会の神馬舞人一〇人の役の提供先として「河北」がみえる。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳にみえる野別府五〇町は、近世の川北・川南両郷をさした地域とみられる。

元禄四年(一六九一)以降、高鍋藩は新納にいろ院二七村を新納七郷と野別府六郷に編成し、それぞれ代官を置き郷ごとに庄屋を置いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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