嵯峨山城跡(読み)さがやまじようあと

日本歴史地名大系 「嵯峨山城跡」の解説

嵯峨山城跡
さがやまじようあと

[現在地名]津山市中島

嵯峨山(二八八・八メートル)山頂に赤松円心範資の曾孫赤松孫三郎教弘が築いた城で、西麓の地名を取って洲前すのまえ城ともいう。天文年中(一五三二―五五)尼子氏に属した錦織右馬助利路が居城。元亀三年(一五七二)荒神山こうじんやま城主花房助兵衛職之(宇喜多直家の臣)により落城し、宇喜多氏の属城となった。その後宇喜多秀家の臣川端丹後守が居城するが、関ヶ原の戦によって秀家は敗れ、美作一円が小早川秀秋の支配となるに及び小早川氏の属城となる(作陽誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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